ベトナム「世界の朝ごはんめぐり」Webマガ版2026年2月号

文と写真/岡本啓史(国際教育家)

シン・チャオ。ベトナム語を学んだことのある人なら、だれもが一度は耳にしたことのあるあいさつです。しかし、日常生活の中でベトナムの人たちが互いに「Xin chào」と言い交わす場面は、意外と多くありません。朝のあいさつとして「Chào buổi sáng(チャオ・ブオイ・サン)」もありますが、こちらも日常会話ではあまり使われないようです。

ベトナムのあいさつは、人と人との関係性――特に年齢、性別、社会的立場を重んじる文化によって形作られており、そこには敬意と温かさが込められています。

たとえば、「こんにちわ」を意味する言葉でご紹介しましょう。

年下の人から年上の女性に対しては「Cháu chào」、年上の男性には「Cháu chào chú」、父母ほどの年齢の方には「Cháu chào ông / bà」というように、言葉の一部が相手に応じて変化します。

また、ベトナムのあいさつは、単なる「こんにちは」ではなく、「chào hỏi」(=あいさつし、相手を気遣って声をかけること)という形で行なわれることが多いのも特徴です。

たとえば、「Bác đi đâu thế?」(どこへ行くんですか?)――これも立派な、思いやりのこもったあいさつです。

このように、ベトナムでは、あいさつは定型的な「言葉」ではなく、相手ありきの「関係性」そのものです。

近年、日本で暮らすベトナムのかたが増えていることから、職場や地域、飲食店などで、上記のような多様なあいさつを耳にしたことがある人もいるかもしれません。

「味わい深くて、繊細さもある料理が好きなんです。ベトナムの朝ごはんは、まさにその“遊び場”ですね」。そう話すアンさんの朝食を、じっくり見ていきましょう。

もともと質素な食生活の中で生まれたコムタム(文字通り「砕いた米」)は、精米の過程で砕けてしまった砕米を使った料理で、「ブロークンライス」とも呼ばれています。ベトナム戦争後の食糧難時代に生まれた庶民の味が、人々に愛される文化的なごちそうへと昇華していきました。屋台やコムタム専門店が多数あり、朝食から夕食まで一日じゅう楽しめる国民食となっています。

地域や家庭によってさまざまなバリエーションがありますが、一般的なコムタムの一皿には、次のような料理が盛り合わせてあり、多様な材料が並んだベトナムのソウルフードとして親しまれています。

  • 砕き米のごはん(ふっくら、もちっとした食感):精米時に砕けてしまった米(砕米)を炊いたもので、パラパラとした食感が特徴。
  • Sườn nướng(甘だれ豚リブ):しょうゆ・にんにく・砂糖などでマリネした豚肉を炭火で焼いた香ばしい味で、コムタムの主役ともいわれています。
  • (豚皮):細切り豚皮と炒り米粉。
  • Đồ chua (ピクルス): にんじんや大根のなますやきゅうりなどの漬物。
  • 油でいためた青ねぎ:ごはんに香りとコクを加える存在。
  • Nước mắm(ヌクマム):ベトナムの魚醤。タイのナンプラーよりも魚の香りが強く、塩味がやや控えめとされ、日本のしょうゆのように家庭に一本は常備されている調味料です。料理に使うだけでなく、砂糖や酢、とうがらしなどを加えてあわせ調味料(つけだれ/かけだれ)として使われることも多く、コムタムの味の決め手にもなります。

そのほか目玉焼きや蒸し卵、ミートローフなどが盛られることがあります。

一口ごとに、香ばしさ、うま味、酸味、さわやかな風味が重なり合い、まさにベトナム料理らしい「調和」を感じさせてくれます。

砕き米ならではの、軽やかで少し弾力のある食感も、この料理の魅力です。本来は土なべや鋳鉄なべを使って薪で調理していましたが、時短のためこのごろでは蒸し器も利用されるようになりました。

食べるときは、ごはんにソースをかけ、豚肉を切り分け、すべてを混ぜ合わせてから口に入れます。その味わいには、調和・共有・満足感をたいせつにするベトナムの食文化が表われているように感じられます。

「在宅勤務の日は、バルコニーで朝の涼しい風を感じながらコムタムを食べます。それだけで、心がとても穏やかになるんです」とアンさんはいいます。

  • 共通する価値観: 両国とも、敬意や上下関係、あいさつを重んじる文化を持っています。共同体、調和、謙虚さをたいせつにする点も共通しており、日本人とベトナム人同士で相手を思いやって気を遣い合うということもよくあります。
  • 教育と人の交流: 教育、技術、人材育成の分野で、日本とベトナムの協力は急速に広がっています。毎年、多くのベトナム人学生や技能実習生が日本で学び、働いている一方で、日系企業がベトナムに進出しています。
  • 食を通したつながり: ベトナムのライスペーパー、コーヒー、魚醤(ヌクマム)は日本でも親しまれ、一方で、抹茶やしょうゆといった日本の食材がベトナム料理にとり入れられています。「コムタム」も、日本人旅行者の間で人気が高まっており、日本の松屋などでもコムタム風のメニューが登場しています。

アンさんとの出会いは、筆者が理事を務める「日本SEL学会」がきっかけでした。SEL(Social and Emotional Learning/社会・情動的学習)は、”読み書きそろばん”のように数字で測れる力だけでなく、自己理解や自己管理、他者理解といった人間関係の力や自分らしく生きる力をはぐくむ学びです。学業、仕事、そしてウェルビーイングに効果があることから、今や世界的な教育の潮流となっています。

アンさんが同会にコンタクトをとり、日本のSELの試みを学びたいということで、国際委員会を担当する筆者が彼女とつながりました。感情のウェルビーイングと教育への強い関心から、アンさんはベトナムのNPO「PiSEL」で活動しており、お互いの活動共有をしているうちに、SELは「言葉を超えて教育者同士をつなぐ共通言語」だと実感しました。 2025年の11月に来日したアンさんは、同会を通して日本の教育現場を視察しました。世界の朝ごはんと同じように、SELもまた、人と人を自然につなげてくれる存在です。

異文化理解やSELの分野で活動する筆者として思うのは、SELと「世界の朝ごはんめぐり」には共通点があるということです。他者・多様性を知ることで、自分自身・自文化を知るということです。

他国の人が、どんなあいさつで一日を始め、なにを食べ、だれと朝の時間を共有しているのかを知ると、私たちは自然と自分の習慣を振り返ります。

なぜ「いただきます」というのか。なぜ忙しい朝もあれば、会話が生まれる朝もあるのか。こうした気づきは、SELの中核である自己理解(セルフ・アウェアネス)と他者理解(ソーシャル・アウェアネス)をはぐくみます。

世界を学ぶことは、かならずしも教科書から始まるわけではありません。それは、朝ごはんのテーブルから、静かに始まっているのです。

朝ごはんを通して世界を旅するこのシリーズ。次は、どんな国のどんな人の朝に出合えるのでしょうか。それでは、また次回の「世界の朝ごはんめぐり」でお会いしましょう!

<アンさんのSNS>
Facebook:Nguyễn Hoàng Chiêu Anh  (Chanh Yêu)”


岡本啓史                               
おかもとひろし🟡国際教育家、生涯学習者、パフォーマー

世界5大陸で暮らし、国連やJICAを通じて50カ国以上で教育支援に携わる。ダンサー、俳優、星付きレストランのシェフ、教師など多彩な経歴を持つ。
異文化で学び続けた海外18年を経て、2024年に帰国し、神戸でグローバル学び舎3L-ミエルを設立。「多様性と幅広い学び」を次世代へつなぐことを使命に、教育、食文化からウェルビーイングなど幅広いテーマで講演・研修・執筆を行う。5言語で学びに関するブログでゆるく発信中。徳島文理大学特任教授。日本SEL学会理事。
 
著書『なりたい自分との出会い方』(岩波書店)『せかいのあいさつ』全3巻(童心社)監修。
サイト/SNS:https://linktr.ee/mdhiro

栄養と料理2026年2月号