セーシェル
文と写真/岡本啓史(国際教育家)
Bonzour
ボンズール。セーシェルの朝は、このセーシェル・クレオール語から始まります。フランス語の “Bonjour” (ボンジュー)に似ていますが、島ならではのやわらかなリズムと響きを持つ言葉です。
セーシェルの公用語は セーシェル・クレオール語、フランス語、英語 の3つ。この言語の多様性は、かつてフランス、その後イギリスの植民地だった歴史、そして今なお続く多文化社会を映し出しています。人口12万人ほど、面積も日本の種子島とほぼ同じ大きさでありながら、アフリカ・フランス・アジア・イギリスなど、多様なルーツを持つ人々が暮らす、インド洋で最も多文化な国の1つです。
セーシェル人のアイデンティティは、何世紀にも渡る「移動」と「出会い」の歴史から形づくられてきました。解放された奴隷、入植者、交易商人、旅人など、さまざまな背景を持つ人々が交わり、現在のクレオール文化を育んできたのです。
そして今年、セーシェルは「最初の入植者が到着してから255年」という節目の年を迎えました。かつては孤立した島々だった場所が、今では独自のリズムと言葉、そして誇りをもつ活気あふれる国家へと成長してきたことを物語っています。


セーシェルのアルダブラゾウガメ: Credit Danio Denousse セーシェルのインド洋: Credit Vanessa Lucas
セーシェルはどんな国? 多文化が息づく“地球最後の楽園”と朝ごはんの物語
日本では「どこにあるの?」という声も少なくないセーシェル。しかし実際には、1つの“小宇宙”ともいえる多彩な文化が息づいています。
たとえば音楽やダンスに目を向けると、イギリスやフランスにルーツを持つ「コントルダンス(Contredanse)」、モーリシャスやレユニオンで発展しセーシェルでも親しまれる「セガ(Sega)」、奴隷制時代に生まれた力強い表現「ムチャ(Moutya)」、そしてワルツやポルカなど多様な踊りをとり込んだ「カムトレ(Kamtole)」など、さまざまな文化の影響が重なり合って現在のスタイルが形作られています(出典)。
また、セーシェルはしばしば “Unique by a Thousand Miles(千マイル先でも唯一無二の存在)” と表現されます。アフリカ大陸から約1000マイル(約1600km)離れ、さらに南北に約1000マイルにわたり広がる海に点在する、115の島々から成る国です(*)。世界最大級の環礁であるアルダブラ環礁(世界遺産)には、約15万頭のアルダブラゾウガメが生息しており、中には250年以上生き、体重が250kg近くに達する個体もいるといわれます。澄みきった海、太古からの花崗岩、希少な動植物、巨大なゾウガメ ―― これらがそろうセーシェルは、「地球最後の楽園」と呼ばれることもあります(出典)。
今回の朝ごはんは、そんな不思議な魅力に満ちたセーシェル出身のクリスティーナ・アガティーン(通称ティナ)さん(下記)に登場していただきます。

ティナさんはセーシェルの観光・文化省でカスタマーサービスを担当し、日々さまざまな人々と出会い、笑顔を交わしています。彼女のやわらかな物腰と温かな対応には、セーシェル文化が持つおおらかさが自然とにじんでいます。
2025年の大阪・関西万博でも、セーシェル館のスタッフとして活躍しました。島々の美しさだけでなく、国民が受け継ぐホスピタリティや明るさを、来場者にまっすぐに伝えていたといいます(くわしくは後述)。

ティナさんと、この日の朝食
セーシェルの青パパイヤジャムとは? 伝統レシピとキャッサバ朝ごはん
セーシェルの朝ごはんは、シンプルさと伝統、そして島ならではの知恵が詰まっています。

昔から続く素朴な朝ごはん。カップは、最初の入植者が到着してから250年を記念したデザインのもの(2020年時点)。
既製品のデザートがまだ一般的でなかったころ、セーシェルの家庭では「青パパイヤジャム(Twisted Green Papaya Jam)」がよく作られていました。細く刻んだパパイヤを砂糖、バニラ、オレンジの皮、ナツメグとともに煮込む香り豊かなジャムで、結婚式ではマスペン(ウェディングケーキ)といっしょに供され、“愛と絆”を象徴する存在でもありました。
今では、キャッサバビスケット(Cassava biscuit / galet mayok)に塗って朝ごはんとして親しまれています。パンのようにも見えますが、小麦ではなくキャッサバ(イモ科)のでんぷんを使った、フランス文化の影響を受けたビスケットで、カリッとした食感があり、パパイヤジャムとの相性は抜群なのだそうです。(参考:キャッサバと多様性に関する筆者の多言語ブログ記事)
限られた食材の中でくふうを重ね、暮らしを豊かにしてきた小さな島国の知恵が、今もそのまま”セーシェルの味わい”として受け継がれています。




キャッサバビスケットとパパイヤジャムを楽しむティナさん
飲み物は、セーシェル産の紅茶 “SeyTe Tea” に砂糖とミルクを加えたミルクティー。これもセーシェルらしい優しい朝の味わいです。

日本とセーシェルの意外な関係:島国の共通点から食卓・音楽まで
地理的には遠く離れた両国ですが、意外な接点もあります。
- 島国としての共通点
どちらも周辺国との連携が欠かせません。セーシェルはマダガスカル、モーリシャス、レユニオン、コモロなどとともに インド洋委員会(IOC) を構成しており、日本も島国として2020年からオブザーバー参加しています。
- 日本の食卓に届くセーシェル産
寿司の代表的な食材であるマグロ。日本に届くキハダマグロやメバチマグロの約1割はセーシェル産といわれています。遠い存在だと思っていた国が、じつは私たちの食卓を通じて身近につながっているのです。
- 日本の音楽にも登場
セーシェルは、海の美しさや食材だけでなく、音楽の世界にも登場します。松田聖子さんの「セイシェルの夕陽」や、サザンオールスターズの「セイシェル — 海の聖者」など、日本のポップカルチャーの中にも静かに息づいています。
関西万博がつないだ縁──ティナさんとの出会いと“食”の力
ティナさんとの出会いは、2025年の関西万博での温かい思い出として心に残っています。
以前、大阪・関西万博編「世界の朝ごはんめぐり」レポートでも、約30カ国の人とつながったことに触れましたが、この日は仕事の合間に「どれだけ多くの国の人と出会えるか」に挑戦していました。コモンズAにあったセーシェル館を訪れたとき、ティナさんはほかの来場者と話していました。しばらく待ってみたものの会話は途切れず、「今日はセーシェルとはご縁がないのかもしれない」と思い、立ち去ろうとしたその瞬間――。
ティナさんの言葉が、耳に飛び込んできました。
「私は自分の国の料理が大好きなの」
18年間海外で暮らしていても、私は“他人の会話を遮らない”という日本人らしい感覚をどこかで持ち続けています。それでも、このひと言に心を動かされ、
「すみません……今のお話、とても気になったのですが、どんな料理が好きなんですか?」
と、思わず声をかけていました。朝ごはんの企画について話したときも、彼女は満面の笑みで「参加したい」と言ってくれました。
連絡先を交換すると、帰国直後の多忙な時期にもかかわらず、ていねいに連絡をくれ、この記事にも快く協力してくれました。
たった一言が、その日の流れを変え、人生の出会いにつながることがある――。そして、そのきっかけは、やはり「食」でした。


エキスポ大阪・関西2025のセーシェル館で出会ったティナさん
セーシェルの伝統朝食に出会う旅の終わりに
人類が到着して250年あまりの島国、セーシェル。
- 甘く香るパパイヤジャム
- 素朴なキャッサバビスケット
- 温かい紅茶
今回ご紹介した朝ごはんは、結婚式、家族、伝統、そして島の暮らしが育んだレジリエンス(しなやかさ)を語る“記憶のアーカイブ”でもあります。同時に、世界を知るきっかけとなった万博で生まれたご縁が、万博後の今も日本にもたらしてくれた“小さな異文化の息吹”でもあります。
こうしたつながりを生んでくれた『栄養と料理』、そしてティナさんに、心から──「メーシーボークー」(セーシェル・クレオール語で「本当にありがとうございます」)。
朝ごはんを通して世界を旅するこのシリーズ。
次は、どんな国の、どんな人の朝に出会えるのでしょうか。
それでは、また次回の“世界の朝ごはんめぐり”でお会いしましょう。
<ティナさんのSNS>
Facebook:Tina Agathine
Instagram:lindy _ agarin

| 岡本啓史 おかもとひろし🟡国際教育家、生涯学習者、パフォーマー 世界5大陸で暮らし、国連やJICAを通じて50カ国以上で教育支援に携わる。ダンサー、俳優、星付きレストランのシェフ、教師など多彩な経歴を持つ。 異文化で学び続けた海外18年を経て、2024年に帰国し、神戸でグローバル学び舎3L-ミエルを設立。「多様性と幅広い学び」を次世代へつなぐことを使命に、教育、食文化からウェルビーイングなど幅広いテーマで講演・研修・執筆を行う。5言語で学びに関するブログでゆるく発信中。徳島文理大学特任教授。日本SEL学会理事。 著書『なりたい自分との出会い方』(岩波書店)『せかいのあいさつ』全3巻(童心社)監修。 サイト/SNS:https://linktr.ee/mdhiro |
